2019年1月1日火曜日

LGBT拭い切れぬ偏見。私は弱い。



カミングアウトして、たくさんの方からリアクション頂きました。

本当にありがとうございます。

私が私であることを認めてくれるその言葉ひとつひとつが温かくて次から次へと涙が溢れ、パンパンに目が腫れた元旦となりました。

皆さんがくれた「コロはコロで変わらない」という言葉。

こんなにもたくさんの方が言ってくれたことに驚いています。というのも私はこんな単純な事実に全然気づくことができなかったからです。

数年前母に打ち明けたときに「あなたがあなたでなくなるわけではないもんね」という言葉をもらって初めて気が付きました。私は私であるということに。

すんなりと皆がその結論に至っており、やはりすんなりと私に投げかけてくれた。素直にすげー、みんなすげーってなりました。

個人的に連絡をくれた仲間の中には立場上カミングアウトできずに世間には隠している人もたくさんいます。理解が深まっている世の中のようには思えるけど、それとはまた違う理屈で自分を偽らないと生きていけない人、また、私とは全然違った状況に身を置いている人からしたらこの世界が到底理解がある世の中とは思えない人もいる。私は比較的フレキシブルな世界に身を置いているから、だいぶ世界は変わったなあと思えるし、多様な価値観を受け入れてくれる人が多いなとも感じられる。だけどそれはあくまで私から見た世界です。

人はどこまでいってもひとりである、とよく言われますが、それはどんなに仲を深めても本当に他人が思っていること感じていることを正確そのままに受け取ることはできないという意味も含まれると思っています。

カミングアウトする前の私は皆がくれた優しい言葉を素直に信じ切ることができなかったかもしれません。そして今は素直に受け取れていても何かしらのきっかけでまた信頼できなくなるのかも知れません。

かといって、じゃあ「言っても意味ないのかよ!」とかってそういう意味ではありません。むしろ滅茶苦茶嬉しいのでどんどん言ってください、優しい言葉大好物です(笑)!そして実際救われています!ありがとうございます!

信じ切ることができないというのは、詰まるところ完全に私の問題です。頭では分かっているんだけど、心が認められないっていう、長年培った固い堅い硬い『お前の罪はそんな簡単に認めてもらえるものではない』という私の中に満ちた偏見と罪悪感が信じることに許可を出さないのです。

自分のことは自分しかコントロールできないはずなのになんでしょう。2018年一番影響を受けたアドラー的考え方でいくと「信じられないのではない、信じたくないのだ」ということなんでしょうけど、なんだかそんな風に思うのはとても癪です。信じたいです。

厄介ですよ、積み上げた偏見というのは、もはや私を構成する価値観ですから。この偏見という価値観は世の中が変わることも否定します。世の中がマイノリティに優しいことも認めません。なんならマイノリティ否定派の味方さえする時もあります。

自分の欲求と逆のことを考え続け蓋をしてきた25年間の壁はなかなかに高い。

この壁を切り崩すためにも是非みなさんの力をお借りしたいなと思います。

どんな偏見があるのか。

例えば、恋愛とは、適齢の男女がするものである。
というもの。固いでしょー。古いでしょー。今時何言ってんだって感じでしょー。
でも、そう思い込んで自分を騙し続けた私にとっては心の奥底でどうしてもこう思ってしまい受け入れきれない時があります。まず男女でなくてはだめ、そして年が離れすぎてるのもだめ、また、若すぎるのもだめ。なんていうか自分がそこに当てはまってるくせに気持ち悪いと思ってしまうんですね。
例えば、海外ドラマで『Lの世界』というものがあります。これはハリウッドあたりのレズビアン事情を赤裸々に描いたシリーズもので、10年位前とても流行りました。

私は誰にも気づかれないようTSUTAYAで借りて、また誰にも悟られないよう、イヤホンをつけ、万全の状態で鑑賞していました。さながら思春期の男子がAVを見るかのように。

まず冒頭。女性同士が濃厚なキスをするところから始まります。これ見た瞬間に結構拒否感がありました。当事者ですけど、自分の姿は客観的には見れないですから。同時に自分もそうなのになんでこんな風に思ってしまうんだろうとそんな自分に心底辟易しました。

頭の固い私は否定して否定してそれでも納得のいく答えが見つかったらやっと納得するというような形でしか理解をすることができなくて、なんだそんなことって周りは思うかもしれないけど、私は思えなくて、でもすごく納得したい気持ちはあるんですね。

ただ、この世の中に納得できる答えなんて果たしてあるんでしょうか。そもそも、人間が生きていることに意味があるのか?そんなところから疑うことになります。私の結論。意味はありません。意味はあるなしではなく、付加したいかしたくないか、なのではないか。

多くの人類は種を残すために本能と共に男女ですべきであるという意味を付加したいと思った。しかし、人間十人十色、だれが何に興味を持つか魅力を感じるかは人それぞれで男女に当てはまらない人もいた。という風に自分が意味づければ納得できる、かな…?

同性愛みたいなものを気持ちが悪いと思う人がいること基本的には仕方がないことだと思ってるんですよ。それもその人の価値観だし、世間も全力でその価値観でいこうぜって流れだったし。では私がどうしても気持ち悪いなって思ってしまうもの、例えば近親相姦とか(私が気持ち悪い例であげたことにより、気分を害された方がいらっしゃったらすみません。あくまで主観です。そのこと自体を否定しているわけではありません。そしてこれも世間の全力のそうしようぜに呑まれた結果な気がします)。でもそれだって本人たちからしたら本気の愛のカタチだったりするかもしれない。大切な友達が意を決してそのことを告白してきたらどうしよう。もしかして自分に子供ができたとして、兄弟がゲイでしかもお互いに愛し合っていたらどうしよう。

偏見というのはもしかしたら自分を守るための防御壁なのかもしれません。

私は弱い。

臆病で弱くて怖い人ほどマウンティングをとってしまうような気がします。目に見える確かなリアクションや言葉しか信じることができずに。全てを否定する。強い人は本質を知っている。信じる力がある。目に見えない信頼を着実に積み重ねている。だからそう簡単には折れないし偏見なんて言う防御壁を築かなくても、人を真っ向から受け入れることができる。

私もそうありたい。自分を偽らなくても大きく見せなくてもかっこつけなくても向き合っていける人間でありたい。そんなことに気づけたのは仲間がいてくれたからです。



私は自分の大切な人の意思は他の人を巻き込み物理的に傷つけるものでなければどうあれ尊重したいと思う(物理的に、と加えたのは、心の傷に関しては真剣に向き合う過程でついてしまうものもあるから全部だめって言えなくて)。頭では。もちろん実際そうなったら強固な偏見が現れ心が阻止しようとしてくるかもしれないけど。偏見は持ってしまうこと自体は仕方がない。ポイントはそれとどう付き合っていくかなんだよなと、善悪ではないのだよなと、思うんです。



と、同時にね、もしなにか受け入れられないことがあったとしてもそれはあくまでその人の一部であり全体ではないということを忘れないようにしようと思うのです。

つい、人は嫌なことがあったりするとそれがその人の全部だって思っちゃうから。そもそも他人の全部なんて分かりっこないし。大好きだった部分がなくなるわけではないし。うん、そしてみんなのコメントは私に対してそういうことを言ってくれているんだ。感謝しかないです。ありがとう、ありがとう、ありがとう。

信じ切れない自分、心底変えたいので、これからも皆さんよろしくお願い致します!




2018年12月31日月曜日

カミングアウト


年の瀬のこんな時間に失礼いたします。

2018年は私個人にとってとても大きな、そして激動の1年でした。

と言っても、激しく動いたのは環境ではなく、私の内面です。

ずっと、25年近く蓋をしていたものをついに解放し、丸ごと自分のことを認めてやろうか、という気になったのが最近のことです。何の話やら、という感じですね。


正直怖いです。この発表を決めてから何日かはご飯も喉を通らなくなり考えるだけで動悸が激しくなり手は冷たく震えました。仕事や対人関係においてはアグレッシブなのに、こと自分の事となったらなんて臆病なんだろうかとうんざりしています。でも、そんな自分を乗り越えたいという気持ちが勝ったので告白させていただきます。

結論から言いますと、私は同性愛者です。


なんと言って表現しようか悩みました。LGBTと一口に言っても、いろいろな種類があって、私はレズビアンというくくりに入るのかもしれないけど、その響きはとても私の胸をこわばらせるものでした。そして同性愛者という言葉も果たしてしっくりくるかと言われたら微妙なところではあります。私は自分のことを女だとはわかっていますが、じゃあ本当に女性かと言われるとそれもやっぱりしっくりこない部分もあり、じゃあ男かと言われるとそれも違う。性別を決めたくないというXジェンダーという人々もいますが、私は決めたくないんです!と主張したいわけでも、詳しくない人にちゃんと「私はこういう人間で~」と説明したいととは思っていない。身体的な性別は女性なので、そういう意味で女性として扱われることには抵抗はありません。そんな曖昧な感じで、一応性別は女性で、恋愛の対象が女性なので同性愛者かなあという感じです。

うーん、改めて自分の恋愛の対象が〇〇です。と宣言することってなんだかとっても不思議な感覚がしますね。だって、あんまり言わないでしょ、そういう恋愛みたいなプライベートなことを私ってこうなの!って言うことって。にも拘らず宣言しようという気になったのは、ちょっとややこしく、長い話になってしまうのですがお話させていただきます。



私を縛り付けている問題は大きく分けて2つあります。それは自尊心と罪悪感です。

自尊心という言葉がありますが、皆さんはこの言葉どんな風に捉えていますか?

私はこいつが同性愛者である自分に著しく欠けていました。

それはなぜかというと、LGBTである自分というものに他の誰でもなく自分が一番偏見を持っていたからです。

私は子供の頃から同性が好きであると感じることが多く、その度にそれはいけない感情だと蓋をしてきました。蓋をしていればいつかこういうものは無くなるはずだと、大人になったら普通に結婚しなきゃいけないんだからと、思っていました。また、幼少から女子サッカーをやっていたのですが、そこでは女性が恋愛対象の人もたくさんいました。当時はそんな言葉が浸透していなかったのですが、今思えばトランスジェンダーと思われる人が結構いたんですね。そんな中私はこんな見た目ですがどちらかというと女子っぽい、みたいな方に分類されていたと思っています。そういう女子っぽい分類の人たちの会話の中で「〇〇ってだれだれ(同性)が好きみたいよ」「えーありえない!」みたいな噂話が飛び交っており、私は内心自分もだ、と思いながらも同調していました。周りは悪気なんてないことは分かっています。だからそんな皆のことを責めるような気持ちはもちろんありませんし、なによりそういった言動に傷ついてるとも思っておりませんでした。が、自分がそうであるという罪悪感だけは募っていきました。
ある時、恐らくトランスジェンダーであった同級生から「実は…」とカミングアウトされましたが、私は「私もだよ」と言えませんでした。それどころかなんて言葉をかけたかすらも思い出せない。ただ、彼女の苦しみと勇気をもって私に告白してくれた気持ちだけが強く印象に残っています。もしかしたらとても薄情な返しをしてしまったかもしれません。とにかく臆病な私は周りにそんなこと気づかれなかったし、同じような仲間だとも思われたくなかった。私は自分が同性愛者であると確信してからも、自分のことを周りに認めてほしいなどとは思っていなかったし社会活動にも興味がなかった。ずっと墓場まで持っていくでいいと思っていた。私は変態だから仕方がないと自分も周りも騙していたのです。

でも自分を騙すのにも限界がありました。

30歳。世間的には結婚というものがメイントピックになります。どこにいっても結婚どうすんの、子供は?という話題で溢れかえります。周りも自分も騙したい私は恋愛の話をそもそもあまりしていませんでした。話題自体が嫌いなわけではないのですが、私が話すとどれもこれも嘘になってしまうので綻んでしまうことを恐れ興味がないふりをしていました。

ただ実際は私は常に恋愛をしている人間でした。

私は同性愛者であったからか、昔から誰の一番にもなれないという気持ちが強く、大人になってからも、結局はみんないつか結婚して普通の家庭を持つことが幸せなことだから私は身をひかなくてはいけないという考えにとらわれていました。どんなに私と一緒にいたいといわれても信じることはできませんでした。そのくせ私は私を一番にしてくれる人を探し続けていたのです。その悪循環から自己否定を強めていき、自分で身を引いたり手放したりしたくせに「どうせ私は」と自分で自分を傷つけるようになっていきました。

自分を傷つけるだけならまだいいのですが、自分を信じてくれる人すらも傷つけるようなことをするようになっていました。そうして自分で自分を不幸にしていったときに劇団で「疫病神」という作品をやりました。内容は作家が自分の問題を乗り越えるために苦しい自分の内面と対面し向き合い戦った結果の素晴らしい作品でした。そんな姿を見て、私は?と。人に向き合うことなんかを説いている癖に自分は?全然乗り越えても戦おうともしないじゃんかと恥ずかしくなりました。

そこで私は初めてLGBTである自分と向き合おうと、勉強してみようと、そして私自身のことも認められるようになろうと思ったのです。それでワークショップにいってみたり、同じ悩みを持つ人と話してみたりすると、いままで口にすることを恐れていたことを口にするだけで、人と共有するだけで驚くほどに凝り固まっていたものが解けていく感覚があったのです。衝撃でした。そこで、もしかしたらこんなまだまだ乗り越えきっていない自分だけど、どこかの誰かの助けになるのかもしれないと思いました。そしてなにより自分のために発表しようと考えました。



世の中は私が思っている以上に理解が進んでいてこんなことなんの事件にもならないかもしれない。そう思ってたよって人もまさかって人も興味ないって人も色々いると思います。

これからどんな声があがるのか、人と会うのがとても怖いです。でも今回この発表に踏み切れたのは私を支えてくれている仲間の存在がすごく大きい。

人間はひとりです。でも、ひとりじゃないって思えることは自分の足で立って決断をして歩いていくことに大きな勇気をくれるんだと、みんなの存在に教えてもらいました。

ありがとう。

長くなりましたがいまここで書けたことはほんの少しでまだまだどこかで同じように悩んでる人にかけたい言葉はあるのですが、今日はこんなところで。

これから順次更新していきますのでもしよかったら覗いてください。

自分を認める努力をしつつ、更に2019年パワーアップして大切な仲間たちと一緒に進んでいきます。何卒宜しくお願い致します!


2018年12月31日 コロ





2018年3月22日木曜日

【4月出演】ピヨピヨレボリューション「Gliese」








 オフィス上の空プロデュース
ピヨピヨレボリューション公演
『Gliese』

ピヨピヨレボリューションファン待望の作品『Gliese』が
オフィス上の空プロデュースで再演決定!!!

[日程]
2018年4月3日(火)~8日(日)
 3(火)                        19:30(A)
 4(水)14:00(A)/19:00(A)
 5(木)                        19:00(B)
 6(金)14:00(B)/19:00(B)
 7(土)13:00(B)/18:00(B)
 8(日)14:00(B)        全9ステージ
※一部Wキャスト (A)東理紗 (B)春名風花
※受付開始は開演の60分前、開場は開演の30分前でございます。

[チケット]
前売4000円/当日4500円

予約はコチラ



[会場]
ポケットスクエア ザ・ポケット
東京都中野区中野3-22-8
JR中央・総武線/東京メトロ東西線 中野南口より徒歩5分。

[イントロダクション]
発行部数日本一、女の子たちの憧れの雑誌『Gliese』。
女1「ねぇねぇ、Glieseのモデルになれるって言ったらさ、なりたい?」
女2「モデルになれたら人生勝ち組じゃね?」
女達「だよねー!」
そんな会話を小耳に挟みつつちょっぴり優越感に浸る私。
なんてったって私、Glieseのオーディションに受かっちゃいました!
今日はこれから初めてのロケなんです。
ふふふ、そこの婦女子諸君、サインをもらうなら、今のうちだぜ?
なんて妄想を膨らませつつロケバスに乗車。
そこにはカリスマモデルの可憐ちゃんも!
私、モデルになったんだ…実感湧いてきた~。
…って、ん?私、バスに乗ったよね?
え、え?なんで浮いてるの?
ぐいぐい上昇していきますよ!
今、大気圏も抜けましたよね?
まさかこのバスって…宇宙行き?

[キャスト]
右手愛美
東理紗 Wキャスト
maco
あずさ
コロ
(以上、ピヨピヨレボリューション)

鹿島田織恵
六川裕史
石川琴絵
鶴岡政希
(以上、ピヨピヨ×××)

大平智之
那珂村 たかこ(劇団ヘロヘロQカムパニー)
前園あかり(Ammo)
真嶋一歌(リジッター企画)
南かおり(激嬢ユニットバス)

春名風花 Wキャスト

大久保聡美

【スタッフ】
作曲・脚本:右手愛美
演出:匿名○希望
振付:maco
舞台監督:森脇洋平(オフィス上の空)
舞台美術:佐藤秀憲(ステージメイツ)
照明:若原靖(LICHT-ER)
音響:水野裕 (空間企画)
歌唱指導・コーラスアレンジ おかざきめぐみ
衣装:あずさ
宣伝美術:矢田智楓
宣伝写真:保坂萌
制作:吉田千尋(Luck Up)
プロデューサー:森脇洋平(オフィス上の空)
企画製作:株式会社オフィス上の空

【協力】
浅井企画 / Ammo / 御手洗倶楽部 / 株式会社スターダストプロモーション / 株式会社プロダクション・エース / gull2 /
空間企画 / 激嬢ユニットバス / 劇団東京ヴォードヴィルショー/ 劇団ヘロヘロQカムパニー / ステージメイツ / ニューウォーカーズ /
ピヨピヨXXX / ピヨピヨレボリューション / ベリーベリープロダクション / Luck Up / リジッター企画 / LICHT-ER